三陸旅行vol.9 女川に残る津波の爪痕

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宮城県女川町とは?

宮城県石巻から石巻線で25分。女川という町が宮城の東端にあります。
太平洋沿岸の港町で、日本有数の漁獲量を誇った女川漁港や女川原発(現在は運転停止)があり、北上山地と太平洋が交わるリアス式海岸の漁場は天然の良港を形成しています。本項ではそんな女川町の歴史を紹介していきたいと思います。

 

女川と東日本大震災

2011年3月11日に起きた東北太平洋沖地震とそれに伴う大津波で、女川町は甚大な被害を受けました。津波は最大で海抜20メートルの高さにまで達し、沿岸部をのみこんでいきました。石巻駅の駅舎は流失し、列車も駅から約200メートル流されました。

僕が初めて女川を訪れたのは2012年4月。タクシーで石巻から2時間ほど回ってもらいました。当時は駅舎が復旧しておらず、石巻から渡波駅まで石巻線に乗り、渡波から代行バスに乗って女川へ向かうというルートしかありませんでした。新しい女川駅は旧駅の200メートルほど内陸に移設され、2015年3月21日に営業が再開されました。「女川町を襲った大津波の証言」では、河北新報さんの記事を中心にして当時の記録をまとめています。女川に訪れる機会がある方、また女川町に興味を持った方はご一読していただきたいサイトです。

 

女川町地域医療センター(旧・女川町立病院)。(2012年4月30日撮影)

女川町の高台に建つ病院ですが、1階部分は津波で損傷を受けました。芝生部分にはWE LOVE 女川という文字が施されていました。

2015年9月27日に撮影した女川町地域医療センター。WE LOVE 女川の文字はうっすらと芝に残っていますが、新しい女川への生まれ変わりが新たな段階に入ったことを印象付けました。

 

2012年訪問時の女川地区

前述の通り、2012年4月に石巻からタクシーで入り、女川を回ってもらいました。石巻の沿岸地区には「鯨の大和煮」の巨大缶詰が横たわっていました。この光景はテレビなどでご覧になった方もいるかと思います。

県道の中央分離帯に横たわる「巨大缶詰」は魚町・木の屋石巻水産の魚油を貯蔵する容量1000トンのタンク。およそ300メートル流され、津波の脅威を物語ると同時に、石巻を訪れた人たちの撮影スポットにもなっていたいわば震災遺構の一つでした。このタンクは同年2012年6月30日に解体、撤去作業が行われています。

沿岸の県道240号線から国道398号線を東に走り、女川に移動。旧町立病院の駐車場から見た女川湾方面です。がれきの撤去は進んでいましたが、津波によって激しく損傷したビルが心に突き刺さりました。

この日はもやが海面近くにかかっていましたが、クレーンの数が目立ちます。女川の海は本当に静かで、震災時の津波などは想像もつきませんでした。静かな町に工事音が響きます。

こちらは旧町立病院の駐車場から見た石巻側。更地が広がり閑散としていました。また集積されたスクラップ、粗大ごみが積まれた空き地、建設業者が度々変わりなかなかオープンにこぎつけられないスーパーマーケット、地層から水が上がってきてしまい水たまり状態になってしまった田んぼ…車窓からは色々な風景を目にし、その都度タクシーの運転手さんが「まだまだなんだよ」と悔しそうにおっしゃったのが印象的でした。

▲元・町役場。津波が襲ってくるまさにその瞬間まで無線放送を職員が続け、間一髪で屋上に逃げて生存したといいます。

「すごかったんだべにゃあ。タクシーも車もみーんな流されてしまったんだべ」タクシーの運転手さんは振り返りました。

訪問時は被災したJR女川駅の駅舎はなく、運転手さんも「このへんぐれえだとは思うけどおらもわかんないにゃ」と首をかしげていました。

翌2013年9月に訪れた時の女川は、同じ更地のように見えても道がしっかりと通っており、復興計画の進行を印象付けました。

(▲2枚とも2013年9月27日撮影)

(▲3枚とも2015年5月に撮影)女川町地域医療センターの駐車場は女川エリアを一望できるスポットです。2枚目の石碑が示す通り、震災の爪痕を実感できる場所でもありますね。

次回の記事では、女川の美しい海と、復興の歩みを進める女川の新しい名物スポットについて紹介していきます。

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